2011年7月30日土曜日

長湯の極楽

 入院中の入浴時間は20分しか無いのでゆっくり湯船で寛ぐ時間など無かった、おやじは温めお湯でゆっくり入るのが好きなのだ。4ヶ月半振りに長湯をした、極楽極楽。
 まだ味覚障害は治らない、昨日の夕食でぽん酢で白菜鍋を食べた、味が判らなかった、甘みはかなり感じるのだが、酸味と塩味はまだ正常な味覚では無い。何時治るのだろう。
 夏は来るのだろうか?毎日スカットしない天気が続く、東北方面は豪雨が続き甚大な被害が出た。東日本大震災に続いた災害は日本の経済活動にとってボディブロウのように効いてくるだろう。これ以上大きな災害が起こらない事を祈るばかりだ。

2011年7月28日木曜日

四国御遍路の旅



明日から四国巡礼御遍路の旅に出る事になった。万歩計を買ってしましった、リハビリのお供にと思い少しでも気分的な励みになってくれればと思っているのですが、1200Kmの長丁場なのだ1日5Km歩いたとしても240日8ヶ月もかかるのだ。説明書を読めば色々な機能も有り面白そうだ。

 140日のベット生活で一番感じる事は、頭が重いと云う事である、少し歩いても首の筋肉が痛くなり下を向いてしか歩けなくなってしまう。その後に足腰が痛くなってくる。一度に長く歩けないのは仕方無いのだが、首の痛みで歩けなくなるのは辛い。

退院して、自由を得た代わりに自己管理と云うおやじにとって一番苦手な課題と戦って行く事になる。食事での抑制は厳しいなぁ~、出来るだけ自炊で頑張ろうと思っている。

 体調管理と自炊記録は新しくコーナーを作ろうと思っています、そうでもしないと続かないような気がしてね、何せおやじは自分で云うのもおかしいが根性無しなのだ。仮称「おやじ何でも雑記録」です、乞うご期待!!

2011年7月27日水曜日

退院

 昨晩は、昔遠足の前日にウキウキして寝れなかった様に余り寝れなかった。4時半頃には起きてしまった、8時半に退院した。荷物は一昨日に宅配便で送っているのでほぼ手ぶら状態で退院。昨日も書いたが病院の外は誘惑ばかり。しかし、朝の早めの退院なので誘惑の店はまだ開店していないのが幸いでしたな。
 暑い!予想はしていたが、かなり体力が落ちているおやじにとっては厳しい、この現実からは逃げられ無い、明日からは少しずつ体力の回復して社会復帰しなければならない。どうなる事やら・・・

 退院した最初に何を食べるか!と云う悩みを1週間続いていが、結局さっき書いた通りお店が限られている。そこで、千里中央の居酒屋「八角」の朝定食、出し巻き定食でした。



 昼は帰りのスパーで買った海鮮ちらし寿司とお味噌汁。



 夜はソースやきそば。おやじ得意の料理。と云っても、むし焼きそばと野菜炒めのパックと豚のバラ肉を炒めただけ、ソースはおたふくソースの焼きそばソースです。

 本日の体重  朝68.0Kg(病院で測定)   夕69,0KG
と云う事で今日はおしまい。

2011年7月26日火曜日

明日は退院



 病院での最後治療は輸血。そして最後の就寝に付く。後12時間後には病院を離れて、入院患者と云う看板から一般患者となる、此れからは全て自己責任の下で体調を管理せねばならない、この事が担当医を始め看護師の方々、友人などが一番心配している。それ程おやじは信用は無いのかぁ!と云いたい処なのだが、一番怪しいと感じているのは当のおやじ自身なのだから仕方無い。
 8月15日に外来診察が有る、此れをもって病棟主治医の管理から離れて外来担当医師に引き継がれるようだ。暑いだろなぁ~、体力無いのになぁ~
 明後日の朝、何事も無かったように違う患者さんが寝ているだろう、3日もすれば誰が居たのかさえ覚えている人は居なくなる、今まで周りで入れ替わる人達を多く見てきたのでその雰囲気は判る。
明日の朝、退院します。

2011年7月25日月曜日

天神祭り

 退院の日が正式に決定した、27日水曜日。入院137日目ですわ、長くも有り短くも有りました。隣のベッドの方が6人、前が5人、斜め前が7人もの人が代わったんですよ。看護師さんには本当に言葉では言い表せない位に感謝しています、途中挫けそうになった時でも親身になって頂き本当に有難かった、二度と此処に戻らないのが一番の感謝のお返しだと思うのです。
 退院したら暴飲暴食は止め、外食は少なくして自炊しようかな、と思っています。今まで無茶が判っていても平気で過して来た報いが今回の病気なんだ、と思うのですよ。この4ヶ月半で8キロ体重が落ちました、当然筋肉が落ちたのですが、正しい食生活(病院食が正しいかどうか判らないけど)を行えばこの位に体重が良い事に気が付きました、心臓に負担無く過せるのです。15年も前は体の為にジムに通っていた時の体重が丁度今の体重と同じなんです、その時はもう少し筋肉が有り体脂肪も少し低かったですがね。後1ヶ月、リハビリで社会復帰を目指しますわ。
 大阪市内は天神祭り一色なんだろうな、7時になれば打ち上げ花火が上がる、病院から見る事が出来るかなぁ~。後、2個寝たら・・・・うっししし~なのだ。

2011年7月24日日曜日

最後の日曜日

 病院で過す最後の日曜。周りの3人の方は外出と外泊で今は誰も居ない、実に静かでのんびりとしている。病院の近くでは野外イベントをしているようだ、昔はおやじも参加していたが今はは会社がその仕事を請けていない、世の中の難しい流れだ。
 明日は天神祭り、今日は宵宮ですわな、でも此処に居ると世の中の事は全く把握出来ない、と云うか時間の流れ方が少し違う感じがする、今は4ヶ月半も居るのでその流れの中暮らしているが週末には現世に戻る、掃除をして洗濯をして買い物に行く、外はは暑いし節電やわ腹は減るし飯は作らなあかんわ布団は干さなあかんは、大忙しやで、でも一刻でも早くその煩わしい世界に戻りたいおやじでした。明日の採血検査でその日が決まるのだ!

2011年7月23日土曜日

誕生日

 である。この歳になると、めでたいのか、めでたくないのか判らない。半世紀以上生息してきて何をしていたのか後悔の連続の日々だ。後輩達に何も残してやれないのが残念だ、これから過ぎる時間も余り期待出来ないだろう。
 何を成したかでは無く、何を成すかが大切なんだ!と常日頃思っていたのだが、何も成さずの人生も寂しいものだ。若い頃は何を思って夢を見ていたのか、思い出せない何をしたかったのか結局今も見つける事が出来て無い、一体何を考えて生きてきたのだろうか?不思議な半世紀だった。
 明日、アナログ放送が終る、おやじの4バンドラジオからTVの音が消える、毎朝このラジオでテレビ放送を聞いていたのに明日から聴けない、誠に残念。本当に周りの人達は地デジに変更したのだろうか?3月14日から入院しているので周りの事が全く判らないのだ。例えば、大阪駅が工事中に入院したので開業した姿を知らない、浦島太郎状態でもうすぐ退院する、ちと怖い。

2011年7月21日木曜日

土用の丑の日

 うなぎを食べて精を付けて下さい。と、言い出したのは確か平賀源内さんだ、キャッチコピーとしての通説が有る。今日の夕食には申し訳程度のうなぎが出た。


 売店にスイカバーが登場した、夏の現場で良く食べたものだ、取分けおやじはアイスキャンディーが好きなようだ、今、口の中が味覚障害が起きているので冷たいものが気持ち良いからかもしれない。味の判らない食事ほど、本当に味気ないのだ、来週には回復すると思われる。退院後は美味いものを鱈腹食べる予定なので早く治って欲しい。退院したら少し料理でもしてみようかなぁ~とか思って、今はPCで色々な料理レシピを見ている、そして決断したのだ!「電気フライヤー」買うぞ!!と。 




2011年7月20日水曜日

台風一過

 昨日からの台風は昼過ぎには大阪から離れていった。和歌山や四国は大変な被害だったようだが、大阪は少し風が強かった位で余り被害は出ていない感じだ。夕方には快晴になって来た感じ、明日から夏が戻って来るやなぁ~
 退院まで後10日になって来た、長かったぁ~!多くの看護師さんに支えられて此処までこれた事は感謝の一言でしかない。途中、研修に来た学生さんは今は中ノ島付近の病院で新しい出会いと知識を多く得ているだろうなぁ。さて、何を食べるか!それが問題だ。

2011年7月18日月曜日

海の日

 残念な雨の3連休の最後、台風が近づいて来ているかなり大きそうだ。昨日は最高気温も35℃を超えた京都では祇園祭りの山鉾巡行が行われていた、20万人の人出と15人熱中症。


 何時から月曜に海に日になったかのか記憶が無い、確か昔は7月20日だと思っていた、沖縄海洋博を記念して生まれた祝日やったように思う。こうなると、自動車業界の人達は可哀想な感じがする、木金休みで土日に働いて月曜が休み、まっ今年の夏だけの期間限定だから良いけどね。


 抗がん剤治療の全てのが終った、後は副作用の克服とその回復を待つだけとなった。始めた時は終りは来るのだろうか?と悩んだものだが、結局、時間薬でした。社会から取り残されて行く自分を焦らせたけど、その内、此処に共に病気と闘っている人達が大勢居る、と気付かされた時から焦っても仕方無い事に気付いた、その後からは何も考えない治療生活が出来ましたね、しかし、此処まで来ると退院後の事を考え出さなければ、と思っている今日この頃でした。

2011年7月16日土曜日

おやじ食堂 その4

 出ました!中央軒の「皿うどん定食」¥950なり。おやじにとっては、ちと毎日のランチには高額な食材なのだが、何ヶ月かに1度は食べたくなる、中央軒のテーブルには「お酢」が置いて有るのでたっぷりとお酢 を掛けて食べるのがおやじ流なのだ。今のおやじの胃の量では食べ切れないだろうなぁ~
この食材も退院後1番手候補なのだが・・・ちと厳しいか!

 毎日食べ物の話しで申し訳無いですね、しかし今のおやじの頭の中が食い物だらけなのです。
食べたい物が次から次から出て来る、大学時代に良く食べた福井の「ヨーロッパ軒」のソースかつ丼、出張先の広島での色々な「広島焼き」や米沢での駅弁「牛肉どまん中」、名古屋の「味噌煮込みうどん」高速道路のSAでのまずい「てんぷらうどん」、そして各社の「牛丼」。
何と、おぞましい脳回路なのか、己がバカバカしく思うのですわ。
 世間は3連休、おやじは130連休中!でも何処にも行けないのだ。

おやじ食堂 その4

2011年7月15日金曜日

何を食べるか!

 退院した日の昼飯を何を食べるか悩んでいる、今まで外泊や外出した時も悩んだが、今回はその比では無い。残り約2週間で決めなければならないのだ。そしてその夜は!難しい問題だ。
 最近は何をしているかと云えば、ネットで美味い物の店を探している、自分でも馬鹿だと思うがこの4ヶ月の食の欲求は凄まじい感じがする。今は夏場だが入院した時は冬の終わり、その時は入院するまで「もつ鍋」行こ、と思っていたが行けなかった、退院したら行くぞ!頭の中に食いたい物が毎日過ぎる、その度にネットで調べている。体重が6Kg減ったが一瞬でリバウンドしそうで恐ろしい。
 2週間の研修の学生さんが最後のお別れの挨拶に来た。何も得るものは無かっただろうが、へんなおやじもこの世の中に居るのだ!判ってもらえた事でしょう。「良い思い出でした。」と云っていたが病室をでたら、忘れてしまうのだろうな、おやじは2週間楽しかったですよ、ホント!

2011年7月14日木曜日

今日で入院4ヶ月目

 過ぎてしまえば早いものでですわ。入院した時は遠い先のように思っていたが、アッと云う間でしたね。入院した時は東日本大震災の3日後で未だ寒い頃でしたわ、ですが今は暑い毎日ですからね、まいりますわ。
 今日も学生さんが来ました、明日で最後です、何を話すかと云えば食べ物屋さんの何処が美味しいとか、何が美味しいとかの話で病気の話しは一切無い。これが生の授業なのか??此れからの医療を彼らが担っていかなければならない人材だ、おやじが10年経って又何かで入院する事があったら彼らはもう立派な医師として働いて居るだろうな、その時は「先生ぇ~宜しく頼みますわぁ」と云うのだろう。
 今日も良い天気だ、病室は空調が効いてて天国だ、散歩に行けば地獄だ、そして退院が迫ってきている、此処まで来れば秋まで居座って涼しくなるまで退院延ばせば、我が家は節電OKですがな。でも精神的には限界を超えているので、早く退院したいのだ!。これ、本音

2011年7月12日火曜日

最終クール

 終にこの日がやって来ましたよ、入院から4ヶ月。残り約21日で退院の予定となりました。最後の点滴が明日で終る。
 Facebookを始めて2ヶ月余り、使い方が判らないのだ、友達の概念がおやじと違うような気がして友達になれない、「知り合いになる」とか「仲間になろう!」とかの表現で有ればコンタクトしても良いのだが、何故か「友だち」と云う言葉で前に進む事が出来ない。普通の人々は「友だち」と云う言葉の概念はどうなんだろうか?おやじの考え方が古いだけなんだろうか、「友」とはなんだ!
 多くの事を発信出来れば意義有るのだろうが、おやじのようにボッ~と生きている人間には難しい集まりの感じがする、そんな事ばかり考えているから前に進めないのだろうなぁ~

2011年7月11日月曜日

食い倒れ作戦失敗!!

 外泊予定の朝に立眩みが出た、それまでも少し有ったのだか気にしていなかったのが良く無かったのだろう、即!外出禁止令が出てしまった。抗がん剤による貧血で赤血球の減少が確認されたので、急遽輸血されてしまいました。恐るべし、抗がん剤。
 明日から最終クールの治療に入るのだ、残り3週間、長かったぁ~なぁ。退院へのカウントダウンが始まるのだ。
 食い倒れしたろ、と思ったらその前に貧血で倒れました、と云うお粗末なお話でした。

2011年7月8日金曜日

行き成り、梅雨明けかいな!

 ホンマかいなぁ~!ビックリですな。あぁ~これで夏の暑さが連日続くと思うとゾッしますわ。
 明日は外泊許可が出たので久し振りに家に帰りゆっくりしますわ、来週から、ラストクールに入り7月末で終了する予定だ、長かったが残り3週間と少し。担当医には申し訳無いのだが、土曜は食い倒れでっせ、日曜は大人しくしますけどね、月曜が採血検査やからね。
 今週から顔を出している医大学生との話しは面白い、何を聞きたいのか判らないので、おっさんの話ばかりする、来週は多分今週の反省を踏まえ、質問などを考えて来るだろう、と思う。考えて見れば親子程歳が離れているのだ、時代の違いを感じざるを得ない。彼らも後何年かすれば巣立って、一端の医者になっていくのだろが、検査データに振舞わされる医者では無く自分自身の知識と経験を持って患者と接して欲しいもんだ。「医龍」と云う医学ドラマで、「医者が患者を待っているのでは無く、患者が医者を待っているんだ。」と云うフレーズが有り研究の為の道具にだけは患者を診て欲しくない。
なぁーんてね。

2011年7月7日木曜日

当り!

 ガリガリ君がついに当りました、ここ数年当りが無く何本食べれば当たるのだろうかと何時も思ってましたが、終にこの日が来てしまった。良いことが起こる前兆なのか?はたまた、全ての運を使い果たしてしまったのか?小さい話しですが、多分後者でしょうね。
 やはり雨の七夕でした、大阪でも多くの企画がニュースなどで報じられていたが、やはり雨ではねぇ~天気には勝てない。しかし、この時期は梅雨は判っている、何故7月7日なんだろう、仙台七夕は旧暦で8月始めなのに。7,7のゴロでしょうかね。
 京都祇園祭りが梅雨明け頃、大阪天神祭りが25日から、淀川花火大会が8月始め、その頃には退院しているだろう。多分。

大当たり!





 何年振りだろう、2目の当りである、そうあの「ガリガリ君」が当ったのです、いやぁ~感動した!かなりの本数を食べたが中々当らなかった、何か良い事が有る前触れなのか?はたまた、これで運を使いきってしまうのか。多分、後者だろうな。


 やはり雨の七夕となってしまった

2011年7月6日水曜日

明日は七夕

 しかし曇りか雨なんだろうな。おやじの感覚だとここ何年も七夕の夜に晴れた記憶が無い、勿論晴れていたとしても見ていないのだろう、でも大阪で晴れても天の川が確認出来るほど晴れる事は無いと思う。おやじは良く仕事で山奥に行く事が有る、冬場などに行ってキィーンと寒い晴れた夜なんかに星を見る事が好きだ「何じゃこりゃぁ!」と叫びたい位の満点の星に出会うからだ。決して大阪では見る事は出来ない。
 免許証の更新時期なのだが未だ行けて無い、辛いのは免許の写真だ。今まででも人相が悪い写真写りなのだが、現在は髪の毛が無く、眉毛とまつげも無い、かなり厳しい写真になるだろうなぁ~

2011年7月4日月曜日

戻り梅雨

 雨振り出した、昨日から怪しい天気だったがついに降り出した。祇園祭り位に梅雨明けして欲しいものだ。そして天神祭りにはカラッと晴れて欲しいのだ。でも、おやじはまだ入院している、情け無い。
 各地で大雨の被害が出ているようだ、最近は適量と云う言葉は気象に関しても無くなってきている、極端過ぎるので周りの整備が追いつかないこれは想定内なのか想定外なのか。

 今日から学生が2週間研修で来る事になった、実にに若い!当たり前だが何を話して良いのか判らない、何を聞きたいのか判らない、だが女子医大生なのでおやじの気分は少し晴れました!と云うお話でした。

2011年7月3日日曜日

命は一つ

 抗がん剤治療におやじはかなり辛い思いをしている、確かに現在はそうなんだろうが本質を考えれば悪性リンパ腫を治療する為なのだ。昨年はこの病で死ぬ程辛い思いをしていた、喉元過ぎれば熱さ忘れる、てな事を云うが全くもってその通り。しかし、心の何処かで抗がん剤治療は命を救ってくれた大事な治療方法と判っていても、今の現実の辛さが先に出てしまう。
 明日の事は誰も判らないが、今は生かされている。生かされている以上は「お前は何かをせぇ!」と云われているのだろう。おやじに残された時間はどれだけ有るのか判らないが出来る事は何でもやりたい。

 梅雨は?と聞きたくなる毎日だ、明日からは下り坂との事だが何か変な天候が続いている。節電の夏と云われているが、夏だけで終るのだろうか?此れから定期検査で原発が止まり出す、当然火力発電も定期検査が有る、昨日姫路で火力発電所が停止した、不慮の事故が起こって60万キロWのマイナスらしい、大変な時代が来る。高層マンションのオール電化の人達は・・・大丈夫かなぁ~

2011年7月1日金曜日

7月かぁ~

 平成23年も半分過ぎてしまった。この半年の1/3は入院してしまった、未だ1月は入院が必要らしい。今週は抗がん剤の副作用でグッタリしてました。
 今日から節電が始まる、今まで慣れた生活を変える事が出来るのだろうか?豊かさを求め、便利を追求して来た日本人が耐える事が出来るのだろうか?オール電化はどうなるのだろうか?色々と考えてしまう。太陽光発電が話題となっているが大丈夫かなぁ~、もし想定外の大噴火が世界の何処かで起こりその火山灰が太陽光を遮ったらどうするのだろう、今回の地震と津波も現在の基準で行けば想定外と言われている。しかし、何を基準に此れから物を造れば良いのか、それは誰が決めて行くのだ。
 おやじは原発推進論者では無いが、化石燃料では地球温暖化と云う大きな問題が有る、しかし今は誰もその事は言わない。資源の無い日本は共存するしか道は無いとおやじは思う。イタリアは原発と決別した、不足電力は周辺国から購入している、インフラを他国に委ねて国の安全が保障出来るのだろうか?買っている電気がその国の原発で作られてもそれは平気なんだろうか?
 おやじには判らない事だらけだ、本当に日本の未来は有るのか?そんな事を病室で考えるので有る。